空庵 ~Yumiko Kai~

甲斐由美子とは

声を閉じ込めた少女時代 〜歌うことは好きだった。でも、その先にはいけなかった〜

私は幼い頃から歌うのが大好きでした。
初めて人前で歌ったのは小学1年生。担任の先生に促され、教室で歌ったのが最初でした。
でも、同級生に冷やかされ、胸がすっと冷たくなるのを感じました。

その後、父の社員旅行で訪れた宮崎・新田原古墳群へのバス旅行。
父に回ってきたマイクが私に渡され、思い切って歌を歌ったのです。周りの大人たちが笑顔で聴いてくれたあの瞬間、私は「歌っていいのかな」と思い始めたのを覚えています。

けれど、母は人前で目立つことをとても嫌う人でした。
「とびあがり(宮崎弁で“目立ちたがり”)」という言葉で私をたしなめ、
「人前で何かをするのは良くないこと」だと、まるで“躾”のように刷り込まれました。

それ以来、歌は「人に聴かせるもの」ではなく、「自分の中だけのもの」に変わっていきました。
カラオケでは誰もいないときにそっと歌い、誰かが来るとマイクを置く。
そんなふうに、私は歌を心の奥に隠して生きてきたのです。

蕎麦屋の厨房で、もう一度見つけた私 〜蕎麦を打ちながら、心の奥に眠っていた本当の自分の声を聴いた〜

大学卒業後、大阪での小学校教師を定年まで勤めあげ、60歳からの第二の人生として始めたのが蕎麦屋でした。
「老後の生活のために」と始めた蕎麦屋でしたが、常連にはハープやピアノ奏者である音楽好きなお客様が多く、音楽が自然と店に溶け込んでいました。

そんな仲間に囲まれて、気づけば私はまた歌っていました。
今度は誰にも止められない、自分の意思で自分らしい人生を生きていきたい。
「やっぱり、私は歌いたい。もっと深く学びたい」——そんな想いが心に芽生えていました。

10年続けた蕎麦屋には愛着もあり、常連さんたちとの別れも辛かったけれど、
「私はこれから歌手になります」とお別れパーティーで宣言し、東京へ。

音楽大学を探し、高齢者を受け入れてくれる数少ない学校の中で、尚美学園大学に出会いました。
色々ある音楽の世界でも体験レッスンで出会ったジャズ科の先生の楽しそうな姿に惹かれ、「私もあんなふうに音楽を楽しみたい」と強く感じたのです。4年制の大学は卒業していたものの、音楽は基礎をしっかりと学ぶ必要があるため編入はできず、1年生からの入学とのことで、覚悟を決めて受験。

そして、無事に合格。私は、10代の同級生とともに人生の新たなステージに足を踏み入れました。

歌うことは、誰かの人生に灯をともすこと 〜“生きててよかった”と思える瞬間を届けたい〜

ある日、日光で開かれた「そば祭り」に出かけ、昔馴染みの方々と一緒に、蕎麦を打ち、多くの方に振る舞っていたときのことです。
ひとりの年配の女性がやってきたので、茹でたての蕎麦を、ぜひ味わっていただきたいと思い、手のひらにそっと載せて差し上げました。

そのとき、恥ずかしそうに差し出された手のひらを見て、私は言葉を失いました。
指先の第一関節から先が、まるで長年土に触れてきたかのような色をしていて、その手はまさに人生そのものを語っているようでした。

この手は、どれほど働き続けてきたのだろう。
どれだけの苦労を乗り越え、どれだけの寂しさや喜びを抱えてきたのだろう。
そう思うと、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような想いが込み上げてきたのです。

そのとき、ふと心の中にひとつの答えが浮かびました。

——もし、私の歌が、そんな人生の手をもつ人の心に届いて、
「生きていてよかった」と感じてもらえる瞬間を生み出せたなら。
——それだけで、私は歌う意味がある。

歌は、ただの「老後の夢」なんかじゃなかった。
歌うことは、今を生きること
私にとっての、“本当の人生”を生きるということだったのです。

これからも私は、歌い続けます。
誰かの心にそっと寄り添い、
その人の人生に、小さな光をともすような歌を——。

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